サンタクロース外伝
街を美しいクリスマス・イルミネーションが彩るこの季節には、サンタクロースのおじさんがなんと言っても子供たちにとって最大の人気者です。言うまでもなくサンタクロースは、毎年12月24日、つまりキリストの誕生日である12月25日の前夜(イヴ)に、その1年よい子にしていた子供たちにプレゼントを持ってきてくれる親切なおじさんです。
でも、サンタクロースはなぜ「キリストの誕生日」であるクリスマスの前夜にプレゼントを持ってくるのでしょうか?そんな疑問を感じたことのある人はいませんか?私は小学生のとき、「(たくさんの人間の子供のリストをつねに持ち歩いている)サンタクロースは、地球侵略を企てる異星人の偵察部隊なのではないか」という作文を書いて担任の先生を困らせて以来、ちょっとサンタクロースには詳しいのです。そこでみなさんにサンタクロースの豆知識をそっとお教えしましょう。
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現在のサンタクロース(Santa Claus)は、実はたくさんのいろいろな先行する伝説やイメージがミックスされた結果できあがっています。その元祖が4世紀に活躍した聖ニクラウス(Saint Nicholas)という司教だったことも、比較的よく知られています。聖ニクラウスは、地中海地方のミュラ(Myra)という町で貧しい子供たちに気前よくgiftsを分け与えたという伝説で知られていて、もっとも人気のある聖人の一人だったのです。中世のヨーロッパでは、彼を偲んで毎年12月5日に「聖ニクラウスの日」を祝っていました。中世ヨーロッパの子供たちは、この日に天国から聖ニクラウスが降りてきて、彼らにプレゼントをくれると信じていたようです。でも、実際にこんな顔した人が突然暖炉からごそごそ出て来たら、恐怖映画より怖いですよね。
中世ヨーロッパにおける聖ニクラウス伝説には、多くの異教徒のイメージが混入されているという指摘もあります。例えばチュートン族の風の神であった"Odin"は、豊かな白いヒゲをたくわえ、 Sleipnirという名前の馬にまたがって空を駆けめぐります。またゲルマン民族の雷の神であった"Thor"は、豊かな長い白ヒゲをたくわえた快活で親切なおじいさんで、「北の国」の宮殿に住み、赤い服を着ていて、2匹の白いヤギに引かれた馬車に乗って空を自在に飛び回ります。さらに雷の神である"Thor"は、煙突を通って自分の分身である火の中に戻っていくのです!サンタクロースのルーツがこの辺りだと指摘されるのも、うなづけますよね。
ヨーロッパではその後、宗教改革の進展と同時にこの「聖ニクラウスの日」を祝う習慣は次第に廃れていきました。しかし北部ヨーロッパ、特にオランダ地方には、逆にこの習慣が根強く残り、例えばフィンランドのトントゥ(Tonttu)という妖精の伝説などと結びついて定着していきました。オランダ語では「聖ニクラウス」は"Sinter Klaas"と表記されますが、これが直接的に現在の"Santa Claus"の語源となったとされています。
でも、人間の指の長さほどの小さなトントゥに、子供たちのプレゼントを配って歩くという肉体労働はとても過酷なものだったでしょう。まともにやれば、古代エジプトのピラミッド建設現場並みの極端な重労働です(最近では「奴隷労働ではなくて公共事業だった」という説が提唱されてるようですが)。だから、たくさんのトントゥの仲間たちを連れた当時のサンタクロースは、じつは魔法を使うことができました。当時のサンタクロースは、自分の体よりはるかに大きいプレゼントを実際に配って歩くという過酷な肉体労働をしていたわけではなく、魔法を使ってちょっと楽をしていたのです。
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17世紀にオランダ人が北アメリカにニューアムステルダムを建設して入植したとき、この"Sinter Klaas"の伝説も一緒にアメリカに伝承されたと言われています。しかし入植したプロテスタント宗派のオランダ人たちは、従来のように12月5日に「聖ニクラウスの日」を祝う代わりに、キリストの誕生日である12月25日の前夜、つまりクリスマス・イヴの夜に聖ニクラウスが天国から降りてきて子供たちにプレゼントを配るというかたちに変更したのです。ここから、「聖ニクラウス伝説」と「キリスト生誕」とのミックスという、現在のクリスマスの形態ができあがったようです。
Washington Irving (1789-1853)というアメリカ人の詩人が1821年に書いた"The Children's Friend"という、ほとんど知られていない詩には次のような一節があり、これが現在のサンタクロースのイメージのルーツだとする説があります。
Old Santeclaus with much delight
His reindeer drives this frosty night.
O'er chimney tops, and tracks of snow,
To bring his yearly gifts to you...むしろ有名なのは、1822年にDr. Clement Clark Mooreが自分の子供たちのために書いた"A Visit from St. Nicholas"という次のような短い詩です。この詩のために、Moore氏は現在のサンタクロースの「作者」として世界的に広く知られています。
Twas the night before Christmas, when all through the house,
Not a creature was stirring, not even a mouse.
The stockings were hung by the chimney with care,
In the hope that St. Nicholas soon would be there.でもこの頃のサンタクロースには、いまだに聖ニクラウスや妖精トントゥのイメージが渾然一体となっていて、実際にときには聖者の顔で描かれたり、また別のときには小さな少年のように描かれたりしていたようです。このごちゃまぜイメージのサンタクロースに、「トナカイに引かれたソリ」や、「よい子供たちのリスト」や、「北部フィンランドのサンタクロース村」などのイメージを付与して、現在のサンタクロースに近いイメージを確立したのは、Thomas Nastという当時の売れっ子挿絵作家でした。Nastは1862年から1886年の間に、たくさんのサンタクロースやクリスマスに関する挿絵を描き、好評を博したようです。
これも有名な話ですが、妖精のサイズだったサンタクロースを等身大のサイズに拡大したのは、コカコーラ社の宣伝部でした。コカコーラ社は同社のイメージカラーである「赤」をサンタクロースの衣服に重ね、サンタクロースがコカコーラを飲んでいるイメージのポスターや広告を大量に作成して、ブランドイメージの浸透を図りました。この頃から、サンタクロースは「赤いパーカーを着て、豊かな白いヒゲの奥で愉快そうに微笑んでいる人の良いおじいさん」というイメージで定着していったのです。そしてこの等身大のサンタが登場すると同時に、妖精だった時代のサンタが使っていた魔法は、いつの間にか使えなくなっていったようです。ホイホイと魔法を使って子供たちの家の靴下の中にプレゼントを入れて歩くサンタでは、途中でのどが渇いてコカコーラをぐびぐび飲むイメージとは合わないからでしょう。魔法が使えなくなった等身大のサンタは、あの太った体で実際に家々の煙突を上り下りするという、たいへんな重労働をほんとにやらなくちゃならなくなってしまったのです。
ちなみに、「ケンタッキー・フライド・チキン」の店頭に立っている「カーネル・サンダー」というおじさんとサンタクロースとの関連を熱心に調べた雑誌記事を見たことがありますが、かなり詳しい調査の結果この両者は関連性はないとのことでした。念のため。